2014年01月14日

Hannah Arendt

ハンナが度々煙草を吸っていたのは、空気を読めと強要する周囲への抵抗の証だったんだろうか?

この間の土曜日に「ハンナ・アーレント」を見て来た。
リンク先を見てもらえば分かるように、実話を映画化したものだ。話の筋は、ここでは省略するね。

映画を見ていて感じたのは、誰か/何かを理解しようとすることと許すことは別ものであることを他者に理解してもらうことの難しさと、この映画のテーマである<悪の凡庸さ>。
ハンナによると<悪の凡庸さ>は思考の停止がもたらすものなわけだが、アイヒマンだけでなく、彼を理解しようとしたハンナを批判した人々(世間の大半なわけだが)もまた<悪の凡庸さ>を証明していることになる。
彼らの批判はハンナの意見に対する反論ではなく、ヒステリックな拒絶反応でしかなかったからだ。
ハンナはなぜアイヒマンを理解しようとしたのかすら考えない。
悪逆非道の輩は問答無用でやっつけるのが当たり前だと思っているんだろう。見事に思考が停止している。

だが、ハンナを批判する人々の気持ちも分かる。
特に迫害を受けたユダヤ人達にとっては、アイヒマンも自分達と同じ人間なんだなんて絶対に思いたくないだろう。生理的に嫌過ぎる。
思うに、ナチの犯罪は、当時の人々にとって考察するには記憶が生々しすぎたのではないか?
もちろん、だからと言って自分と違う考えの人間を攻撃して良いと言いう理由にはならないが。
しかし、心の平安を乱す者は許せないと思うのは精神を安定させるための本能なわけで、その本能が思考を停止させる以上、誰もがアイヒマンのような巨悪をなす可能性があると言うことになる。
彼は思考を停止したからこそ、命令通りにユダヤ人をガス室に送り続けることが出来たわけだから。

この映画の結末はハッピーエンドではない。しかし、バッドエンドでもない。
ハンナは自説を曲げないし、それ故に友人と決別し、彼女に対するバッシングは終わらない。
私だったら、受け入れがたい事実であったとしても理解しようと考え続けることが出来るだろうか?
全く自信がないな。努力はするけどね。
posted by どら at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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